2013/02/28(木) 『どこまでも』 |
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昔さ、中学んときかな、校内の合唱コンクールとかで
「気球に乗ってどこまでも」とかって歌ったよね。
♪時にはなぜか 大空に 旅してみたく なーるーものさー
なんつって。
で、この歌詞、気球がどこまでも行っちゃうんだよな。
雲はもちろん飛び越えるし、星も越えて宇宙をはるか
星座の世界まで行っちゃって。
最近、もっと遠くに行った人たちいるよね。
いや、なんでもない。
調べてみたら1974年にできた曲みたいで。
当然、知っていただろうな。
もしかして口ずさんでたりしてな。
♪気球に乗って どーこーまで行こう、なんつって。
だって海外旅行だし、多少はしゃぐでしょ。
ホントにどこまでも行っちゃった、みたいな。
どうやって死ぬのが幸せか?難しいが大切な問題だ。
よく言われることだが「生き方」とは、すなわち「死に方」だ。
そして、やっぱり、人間いつ死ぬかわからない、ということを
改めて認識する必要があるのではないか。
加えて、人間誰でもいつか必ず死ぬ、ということも。
「悲惨な死」のニュースを見る度に思うところではある。
明日には自分も死ぬかもしれない、最近のなんやかんやを見れば
そう思わずにはいられないだろう。
しかし、そう考えながらも、
「つっても、自分が明日死ぬことはないだろう」って
日常に思考がもどっていくことも、また至極あたりまえのことだ。
だって、きっと、今回気球に乗ってどこまでも行った人たちだってさ、
例えば先日グアムで起きた無差別殺傷事件のニュース見て
「あら、海外まで行ってかわいそうに」とか
超他人事で考えていたと思うんだ。
もしかしたら「私たちは気球に乗って旅するから、自動車が
突っ込んできたりしないで安心ね」
なんてことも思ったかもしれない。
ところが、だ。
気球は燃えながら急上昇し、約300メートルの高さから一気に
墜落したという。
怖いわ。怖すぎだろ。
300メートルっつったら、東京タワーのてっぺんから
垂直落下ってことだぞ?しかも炎に包まれて。
どんな死に方だよ。嫌だよ。
いろんな死に方があると思うけどさ。けっこう嫌な部類だよね。
飛行機の墜落とかも。
いや、でも死んじまえば、みな同じさ、なんて言う人もいるかもしれない。
そうかな?
確かに天涯孤独の身であれば、そうかもしれないが
愛する家族がいる中で、たとえば江戸城で死んでも
そんなこと言えるかな?
そう、アレは何年前くらいになるのか。
「人の死」を考えた時、必ず脳裏をよぎるあの事件。
ススキノのソープランド「江戸城」での火災によって
何人か死んだ事件だ。
江戸城にて死す。
戦国武将的な死に方だ。
孫の代くらいになると「おじいちゃんは江戸城で死んだのよ」ってなって
その孫は時間軸的にパニックになるのではないだろうか。
ならないし、わざわざ教えないだろうな(笑)
まぁ、でも怖いのはインターネッツだ。
もしかしてその死んだ人の名前を検索すれば
あるいは「江戸城」というキーワードにたどり着くことも
あるかもしれない。
死に方は大切だ。
とりあえず痛くない死に方がいいな。
でも、あまり長生きはしたくない。
ちょうどいいところで普通に死にたい(笑)
ところで、「気球に乗ってどこまでも」のエンディングって
どんな感じだったか憶えてる?
手拍子しながら
♪ランラーラララララ ラララランっ
の繰り返しだよ。
オレもそうやって最期を迎えたいな。
手拍子しながら
♪ランラーラララララ ラララランっ
って(笑)
明日から3月。
信じるか信じないかは、アナタ次第。
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